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生命保険の歴史

■生命保険の歴史

生命保険の仕組みは、17世紀ごろ、イギリスのセントポール寺院の牧師たちが、自分たちの死後の葬式代をまかなうために、お互いにいくらかずつ出し合って積み立てていったのが、始まりだといわれています。
現代でも、この考え方は主流で、養う家族や生活の補償が必要でなくなったとしても、せめて葬式代が出るように…と続けている人は多いのではないでしょうか。
しかし、このころのシステムは、年齢に関係なく同じ金額を払い込んでいたため、高齢で掛け始めた人は、若い人よりも少ない保険料で保険金を受取ることになり、若い者の不興を買ったため、消滅していったといわれています。

しかし、実際に保険制度は安心のためにも必要で、現在の近代的な生命保険が確率するのは、人間の寿命を統計化した生命表が出来たことによります。
実際のところ、不慮の事態で若くして亡くなる人もいるものの、データをとることで、おおむね年齢ごとに亡くなる人の割合(死亡率)をはっきりさせたのです。
(ちなみに、この生命表を完成させたのは、ハレー彗星を発見した天文学者エドモンド・ハリーなのだそうです。医学者ではないのですね!)
生命表ができたことにより、各年齢ごとに、「保険料を払う人」と「保険料を受け取る人」の人数が確定しました。
これが、18世紀のイギリスのことですが、現在の保険制度でも、これが基準となっています。

ただし、生命表は、人間が自然に生きた時のデータなので、戦争や災害による大量死亡には対応していません。
ですから、ほとんどの生命保険では、それらは免責(支払いの対象外)とするか、特約(別料金)としています。

日本での生命保険は、1868年に福澤諭吉が紹介したことに始まっています。
日本初の生命保険会社は、明治生命なんです。

しかし、当時の日本では、
「人の命で金儲けをするのか」という風潮がありました。
これほど普及している現在でも、まだそう考える人もいるでしょう。
考え方としては金儲け主義の商品を否定しながらも、経営実態としては、営利目的の株式会社が主流だったそうです。
また戦前までは、生命保険とともに、徴兵保険という制度もあったそうです。今でいう学資保険ですね。
徴兵保険を専門に扱ってきた会社が、いまでも生命保険会社として頑張っています。

富国徴兵保険 → 富国生命
第一徴兵保険 → AIGエジソン生命保険
第百徴兵保険 → ニュライフ生命
日本徴兵保険 → 大和生命

今の生保の商品形態、販売方法の基礎が出来上がったのは、第二次大戦後、生活が欧米化してからのことです。
戦後、多くの保険会社は、株式会社から相互会社に変わりました。
今でも、多くの会社の正式名称は、「相互会社」となっています。

相互会社とは、営利目的ではない会社のことです。
株式会社は、株主に利益が分配されますが、相互会社の社員は「保険契約者」なので、契約している人が利益を得ることになります。

日本の会社の中では、保険業でのみ認められている形態で、保険業法に基づいて設立され、保険業のみを行うことを目的としています。

※生保のセールスに、女性が多いわけ…
第二次世界大戦後、生命保険の重要性が浸透し商品が売れる中、戦争未亡人の働き口として、仕事がたくさんあったからだそうです。

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